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Channel: ミロスラフ・メシールのテニス Miloslav Mecir's Tennis
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Mecir's Tennis (170) サーブではラケットを速く振る(当然ですが…)

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フラットドライブ系のグランドストロークでは、ラケットを押し出すイメージでボールをヒットします。この打ち方は、ボールコントロールができるために私はとても好きな打ち方なのですが、このイメージの弊害もあります。

それは、本来このような打ち方をしてはいけないショットも、つい、同じイメージで打ってしまうという事です。例えば、サーブがその例です。

スピン系サーブ(ヘビースピンではなくても)については、内転・外転の重要性などがあちらこちらで書かれていますが、もっと基本的なこととして、ラケットを速く振るという事があります。ラケットをゆっくりと振っては、どんなに正しいフォームでサーブを打っても、ボールにはスピンはかかりません。ラケットを速く振る、つまり腕に力を入れてラケットを振ることは必須です。(腕に力を入れることは、ラケットがボールを厚く打つという事とは関係ありません。サーブでは、フラットドライブとは違って、ボールを厚く打ってはなりません。)

メシールのサーブのフォームを見ると、(グランドストロークのイメージがあるせいか)ラケットをゆっくり振っているように思います。しかしメシールのサーブでも、スピンをかける場合(特にセカンドサーブ)にはラケットを非常に早く振っています。もちろん、ラケットを振る方向は相手コート方向ではなく、ボールが飛び出すのに対して垂直方向(の脳内イメージ)です。「サーブを打つ場合はいつも全力でラケットを振る」という基本は、メシールのテニスでも共通です。

私の個人的なことですが、いろいろな教則本を見て、書いてある通りに打ってもどうしてもスピンサーブが打てなかったのですが、ラケットスイングを速くする(端的に言うと、力いっぱいラケットを振る)ようにしたとたん、スピンがかかるようになりました。こういう事って、教則本には意外にはっきりとは書いていないものです。

Wimbledon 2013 開幕直前(マレーとジョコビッチを中心に展開?)

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ウィンブルドンの2013が開幕する。今年のウィンブルドンは、年齢などから来るフェデラーの(集中力の)衰退は避けれないだろう。ナダルは、あまりにもクレーにチューニングした全仏オープンのゲームを見ると、優勝は難しいだろう。結局、ジョコビッチとマレーを中心に、展開の早いゲームに対応できる第2群の選手たちが優勝を争うのだと思う。

五輪で同じ会場で優勝しているマレーと、オールラウンドなコートに対するプレースタイルを身に着けているジョコビッチ。どちらが優勝するのかは私にはわからない。全仏でもオールラウンドなスタイルで戦い抜いたジョコビッチに優勝してほしいような気がする。

GAORAでは、ウィンブルドンにあわせて、2010年のイズナーとマウーのウィンブルドン(というよりもテニス史上)最長試合を放送していたので、第5セットを途中から観た。途中と言っても30-30ぐらいからで、それでも1試合分よりも長い時間なのだからすごい。見始めた時はまだ明るかったのに、サスペンデッドになった時点で外は真っ暗になっていた。

2日目の最後の20ゲームほどは、イズナーは体力的に消耗しきっていて、アマチュア選手のようなプレーをしていた。しかし、それが興味深かった。

イズナーは、もう、足も動かず、最低限のステップワークとスイングでボールを打とうとしていた。それは、裏返すと、無駄をすべて省いた力の抜けたスイングになる。それが、(ミスもあるが)エース級のボールになって、面白いようにマウーからポイントを取っていく。

イズナーは、結局、ほとんどピンチを迎えることなくサービスをキープしていった。

イズナーだけではなく、今のトッププロは物心がつかない頃からラケットを振っているだろうから、体の動きを最も効率的に使ってボールを打つことができる。だから、どんなに疲れていても、一番大切な「ボールを打つ」ことに関しては(というよりも関してのみ)、失うことがない。

つまるところ、体が疲れた結果、ウィンブルドンという最高の舞台で、無駄のないスムーズなフォームを見ることができたわけだ。逆いうと、戦略のため、この基本的なフォームにいろいろなものを加えてゲームで戦っているわけだ。アマチュアの我々には、実は、この裸になった基本フォームが参考になる。ああいう力の抜けた打ち方でも、あれだけキレの良いボールを打つことができるのだ。よいフットワークとステップワーク、よいスイング、よいタイミングがあれば、十分に良いボールが打てる。アマチュアには、それで十分だ。

IBMの設定ミス(というよりも想定しないゲーム数)でLEDが消えてしまったスコアボード。夕暮れのオレンジ色になったコートで二人の選手がほぼすべての体力を失って、いちばん基本の力だけで戦っている様子。これが、この伝説の試合で、観客の記憶に残る映像だったのかもしれない。

Wimbledon 2013 ナダルとフェデラーの早期敗退(特に驚くことはなかった)

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予想通り(?)、ナダルとフェデラーが早いラウンドで敗退した。誰が勝つのか、負けるのかを予想するためにブログを書いているのではないけれど、負ける時にはそれなりに理由があることが多いと思う。特定の試合の勝ち負けは相手にもよるが、トーナメントを勝ち上がれるかどうかにはそれなりの理由がつきまとう。

ナダルの初戦敗退は、私は全く驚かなかった。この早期敗退は、全仏オープンから伏線が引かれていたと思う。ナダルが2013年の全仏オープンのために払った代償は大きい。

フェデラーは、最後まで残るとは思っていなかったが、早いラウンドで敗退したのにはちょっと驚いた。何しろ、昨年のチャンピオンなのだから。ただし、今のフェデラーを支えているのは技術と集中力の総和だ。どちらかが少し欠けても、フェデラーの優勝はなくなる。リスクマネージメントがフェデラーの生命線であることを、昨年(2012年)のウィンブルドンの時に書いた。

第1セットしか見ていないが、フェデラーに勝ったセルジー・スタホフスキー(ウクライナ)は、今は珍しいサーブアンドボレーを中心とするプレーヤーだ。1980年代の懐かしいテニスを見ているようで、心地よかった。やはり、ウィンブルドンはサーブアンドボレーがよく似合う。

残念ながら、第2週目に入るとウィンブルドンの芝ははげていってしまい、ただでさえボレーヤーにとっては難しい最近の男子プロテニスでは、サーブアンドボレーは不利になる。スタホフスキーも最後まで残るのは難しいだろう。それでも、できるだけ長く見ていたいと思った。数年後から、全仏オープンと全英オープンの間が1週長く開くそうだ。選手の対応時間(クレーからグラスへの適応)や体力回復を考えてのことだろう。

だとしたら、是非、サーブアンドプレーヤーが対応できる工夫を考えてほしい。ボールがもう少し硬く、速くなれば、サーブアンドボレースタイルは増えるだろう。トーナメントごとにボールを変えることはできないだろうけれど。

芝がもう少しはげにくくなり、2週目にも芝が残っているようなコートであれば、選手のスタイルも少しは変わるのかもしれない。スタホフスキーには今年のウィンブルドンでは少しでも頑張ってもらい、サーブアンドボレーヤーが生き残るべきという議論が是非巻き起こってもらいたい。

Wimbledon 2013開幕直前(予想)

Wimbledon 2013 錦織は優勝する「有資格者」

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2013年のウィンブルドンの1週目は、男女ともシードダウンが相次ぎ、波乱の様相を呈している。シードダウンと言っても、上位シードの有名選手がバタバタと敗退しているので、例年にない雰囲気が漂っている。

その中で錦織は順当にシードを守って勝ちあがっている。

メシールの「美しい」テニスを愛する私は、他の選手にも美しさを求める。美しいテニスをする選手が好きだ。

美しいテニスにもいろいろあると思うが、私が美しいと感じるのは体の使い方に関する場合が多い。理想的な、言い換えると効率的な体の使い方をするテニススタイルが好きだ。肉体のポテンシャルの高さに任せて強引な体の使い方をするフォームには、美しさを感じることだできない。

ナダルは、そのキャラクターを含めて尊敬をしているが、美しさを感じることができない。

私は、いいプレーをしているときの錦織は好きだ。それは日本人選手だからではない。日本人だから好きだというある種のナショナリズム(というほど大げさではないが)は、私には全くない。美しい選手は、美しい。それは国籍とは全く関係ない。

ただし、体型とは関係ある。日本人である錦織は世界のトッププロ選手としては、明らかに体型で見劣りする。限られた肉体の機能をフルに使い切ることができるのが、錦織の素晴らしい点だ。言い換えると、体をうまく使えなければ、錦織の将来はない。

錦織はうまく体を使う。特に、今年(2013年)の全仏、ウィンブルドンでは無駄の少ない、強引な打ち方をしない見事なフォームでボールに向かっていく。だから、つまらないミスショットが少ない。また、相手の良いボールであっても、それを上回るボールを返球することができる。

選手たちは、コートの上で、相手と戦うのではない。飛んでくるボールと戦っているのだ。飛んでくる千差万別のボール。遅いボールと速いボール。深いボールと浅いボール。素直な球質と厄介な球質。高いボールと低いボール。角度のあるボールとまっすぐに来るボール。球威の違い。回転の違い。

体を効率的に使って、この複雑怪奇で多種多様なボールに対応できるものが、最終的に勝利する。対応できるプレーヤーが、勝者というご褒美をもらえる。

私は、今年のウィンブルドンは、錦織にはそのご褒美をもらえる資格があるように思う。それほどまでに、錦織のプレーは美しくなりつつある。他の選手と比較しても、明らかに美しさが際立ってきている。

錦織が優勝できるかどうかは分からないけれど、優勝する資格があることだけは間違いない。少なくともシードは守れるだろうし、準決勝、決勝に進んでも違和感がない。

⇒ Wimbledon 2013 ナダルとフェデラーの早期敗退
⇒ Wimbledon 2013 開幕直前

Wimbledon 2013 錦織vsセピ

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準決勝や決勝まで残っても不思議ではないと感じていた錦織のウィンブルドン2013だが、意外にも3回戦で終わった。足などの具合がかなり悪かったようで、4セット目から先のプレーは、明らかに肉体的な影響があるように見えた。相手がどんなに厳しい配球をしても、それをむしろ逆襲の始点としてしまう錦織のテニスでは、肉体的なトラブルは致命傷だ。驚くばかりにきめ細やかで繊細な配球が、錦織の最大の持ち味であり、肉体はその完成度を維持する基盤となる。

錦織は、これから(得意な)ハードコートのシーズンに入るが、怪我や故障が心配だ。精神的にもプレースタイルも充実しているようなので、それを支える肉体が万全であれば、必ず良い結果を出しそうに思える。

一方、私はセピのプレーを初めて見たのだが、メシールのテニスを愛する者としては、とても好きなプレースタイルといえる。セピのグランドストロークのボールは、あまりサービスラインの内側でバウンドしない。これは、セピがスピン系ではなくフラットドライブ系のボールを打つことを意味している。李娜(Na Li)もそうだが、原則的にはフラットドライブ系のプレーヤーが好きだ。

この試合を見ながら、メシールというプレーヤーは、このセピのボール質と錦織の配給を組み合わせたような選手だったなあぁと、ちょっと奇妙なことを考えたりした。セピも十分に素晴らしい配給をする選手だったが、錦織の(元気な時の)プレーは見ていてドキドキするような切り返しが随所にある。メシールも、(充実しているときには)すばらしい切り返しをいつも見せてくれた。特に、相手がスゥエーデンプレーヤーの場合に顕著だった。

ちなみに、セピは最近では珍しいプロケネックスの契約選手であり、同社のWebサイトでも紹介されている。セッピではなくセピとあるので、ここでもセピと書いた。

Wimbledon 2013 セレナ・ウイリアムズの意外な姿

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以前も書いたが、正直、男子の試合と比較して、女子の試合にはどうしても興味がもてない。男子の方が肉体的に優勢な分だけプレーに迫力がある、スピードがあるからではない。

私は、ほとんどの女子のプレーからは、どうしても美しさを感じることができない。

特に、ウイリアムズ姉妹、シャラポワ、アザレンカ、リシツキなどのいわゆる大型プレーヤーにはどうしても興味を持つことができない。彼女たちは、グランドストロークにおいて、まず足の位置を決めたら後は上体でボールをヒットする。下半身の動きと上半身の動きが連動せず、独立している。そこには、残念ながら、美しさはない。肉体の持つポテンシャルを引き出しきれているとは言い難い。

普段、めったに大型プレーヤーの試合を見ないのだが、今日、偶然にリシツキとセレナ・ウイリアムズの試合を見て(実はまだ試合中で結果が分からない)、意外なことに気が付いた。

セレナ・ウイリアムズは、大型プレーヤーの中でも特に上半身でボールを打つプレーヤーだと思っていたが、よく見るとそうではない。それは、セットの合間に放送されたグランドストロークのスローモーションで分かった。実は、セレナ・ウイリアムズのストロークは、かなり基本に忠実だ。

そのことは、彼女のラケットワークを見ればわかる。フォワードスイング、インパクト、フォロースルーにかけて、ラケットの動きはなめらかで無理がない。ボールをヒットした直後にボールに無理な回転をかけるのではなく、ボールを前に押し出そうという意思が見える。ボールをヒットした後、ラケット面はボールを追いかけるようにボール進行方向に移動する。

「強引」というイメージはない。むしろ、「献身的」とも言える意思が、彼女のラケットワークには見える。

実は、今、セレナ・ウイリアムズがリシツキに負けて、コートを去っていくところ。初めて見たセレナ・ウイリアムスの献身的なプレーは、リシツキにあと一歩のところで及ばなかった。私は、最終セットを見ながら「あれ?セレナ・ウイリアムズってこんなプレーをするんだっけ」と思った。

セレナ・ウイリアムズのプレーは、ストロークだけではなく、プレー全体に「強引さ」が全く消えている。正確には、消えたのかどうかは分からない。なぜなら、今まで、(美しいとは思えない)セレナ・ウイリアムズのゲームをほとんど見たことがないからだ。しかし、今までテレビのダイジェストなどで見る彼女のプレーの印象と、今見たプレーの姿は別人ほど違った。

セレナ・ウイリアムズは、強引なまでにボールを叩き、相手を打ちのめしながら勝ってきたのではなかったのか?今、コートにいるこの女子選手は、むしろ丁寧に、ボールにしっかりと体重をかけて、まさに美しいテニスをしようとしている。相手の速い球にはしっかりと腰を落とし、ラケット面をきちんと作って、ボールを打ちたい方向にしっかりとラケットを振りきる。自分のボールは無理せず、まず相手にとって打ちにくい場所に配給してから、次の攻撃を組み立てる。

私が最近見た女子選手の中で、最も基本に忠実なプレースタイルだ。

ただ、残念ながら、そのプレースタイルが十分に身についていない。きれいなテニスは、常にリスクを伴う。微妙なフットワークのずれ、スイングのタイミングのずれが、相手コートにボールが落ちる場所を左右する。強引なボールを打っていた時のようには、ボールの勢い(力)でミスしてくれない。組み立てて、自分の思う配球をして、最後に相手を仕留めるまで、展開にはミスが許されない。

そのような高度なプレーができるようには、セレナ・ウイリアムズはまだ成熟していないように見えた。しかし、それは、言い換えると、まだ彼女が成長する可能性があるという事だ。そうだとすると、それは驚くべきことだ。すでにトップを極めた選手が、さらに上を目指してメタモルフォーゼしようとしている。そんな選手が今までにいただろうか?

セレナ・ウイリアムズは、今、31歳だということで、おそらく、パワーテニスでは若い世代には対抗できなくなってきたことを知っているのだろう。もしかしたら、自分のプレースタイルを変えようとしているのかもしれない。しかも、この、ウインブルドンという大舞台で。

まさか、それが、一昨日の伊達戦後のセレナ・ウイリアムズの気持ちの変化という事はないだろう。けれども、もしかしたら…と想像するのは、楽しいことだ。セレナ・ウイリアムズが、もし、自分も40歳を超えてもウインブルドンのセンターコートに立ちたいと思ったのだとしたら。

Wimbledon 2013 李娜とクルム伊達:アジア人のテニス

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シードダウンが続く中、第6シードの中国のNa LI(李娜)が1週目を勝ち残った。このところグランドスラム大会で比較的早いラウンドで敗退することが多く、あまりプレーを目にする機会がないために2013年のウィンブルドンの李娜を占うことは私にはできない。

以前も書いたことがあるかもしれないが、クルム伊達公子と李娜には、奇妙な共通点を感じる。いや、むしろ、二人のアジアのテニスプレーヤーという点では、必然的な共通点なのかもしれない。

それは、二人ともがテニスが好きで、テニスを楽しむためにプレーしているのに、勝てば勝つほどプレーとは直接は関係がないものと戦わねばならないという事だ。

戦う相手は自分を取り巻く環境であり、本来は自分のよりどころになるべきものだ。マスコミや国民という人々であり、協会や国という組織の存在だ。

スポーツは個人のものであり、組織や国とは独立したものだなどという野暮なことを言うつもりはない。このグローバル化された世界の中で、ビッグスポーツはあらゆるものが有機物のように絡まって成立している。それはまるで、巨大なじゃんけんだ。選手の活動を経済的に支えているのは、ファンや国民ではなく、スポンサーだ。しかし、そのスポンサーは、国民に商品を売ることを生業にする。大会運営母体も、チケット販売や放送権がなければ大会を運営できない。結局、選手は、国を背負うという意識があろうがなかろうが、国民の声援に応えなくてはならない。

李娜は、全仏オープンの優勝インタビューで、スポンサーや大会に感謝の意を述べたが、国に対していの感謝を口にしなかった。また、べつの機会には、自分は国のために戦っているのではないと言い切った。それは、李娜が大きなものを勝ち取った瞬間に、別の大きなものと戦いを始めなくてはならないことを意味していた。

1980年代に、チェコ・スロバキアの二人の巨人、イワン・レンドルとマルチナ・ナブラチロバは自分の国を捨てた。後を追うようにハナ・マンドリコバが国を離れ、ヘレナ・スコバとミロスラフ・メシールだけが残った。スコバは母親(父親?)がチェコのテニス協会の委員であり、メシールは国に対して不満がなかったというだけだ。

錦織は日本国籍の選手として登録されているが、中学生から活動拠点を米国に移している。有名なニック・ボロテリーの門下生だ。ニック・ボロテリーのテニスアカデミーには、世界中から有望な若者が集まる。それは、モンゴルや欧州から日本にやって来た力士を思い出させる。相撲のウィンブルドンがあったとしたら、日本人はモンゴル選手の優勝をモンゴルの誇りだというモンゴル国民を、どんな目で見るのだろうか。

結局、テニスという個人スポーツは、やはり個人のものなのだ。国民やその国のテニス協会(もちろんマスコミも)は、自国の選手がトップランカーになれば、それでよいではないか。大いに誇りに思えばよい。しかし、その選手を何らかのコントロールしようとしてはいけない。与えるのは尊敬の気持ちと純粋な声援だけでよい。それに見合うだけのものを、選手たちは十分に与えてくれている。それ以上を求めることが、なぜ許されようか。

42歳になり、スポーツ選手にとって最も価値のある肉体の若さを失っても、クルム伊達はニコニコしながら大会に挑み続ける。それは、彼女がそれ以上のものを勝ち得たことを意味している。

李娜はきっと、クルム伊達の後を追いかける。李娜のウィットに富んだインタビューの裏には、眉間にしわを寄せた姿がいつも見え隠れする。彼女はいまだに、テニスコートのネットの向こう側のプレーヤー以外の多くのものと戦っているのだ。彼女が明るいキャラクターである分だけ、眉間のしわに重さを感じる。

李娜がクルム伊達と同じように心から楽しむ表情でテニスコートに立てるのはいつのことだろうか。その時、彼女は、何を得て、何を失っているのだろうか。

⇒ 李娜(Na Li)の全仏オープン2011決勝


Wimbledon 2013 李娜vsラドバンスカ(ある意味こんなに女性的なプレーヤーはいないのかもしれない)

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いろんなテニスがあるのだと思う。同じルールで、同じコートで戦う同じ大会の中でも、李娜とラドバンスカの準々決勝戦は、昨日観たセレナ・ウイリアムズとリシツキのゲームとは、別の競技と言ってもよいほど違った。

唐突な書き方だが、一般に男性は空間認知能力に長ける傾向があり、女性は言語能力に長ける傾向があると言われている。これを、あえてテニスに置き換えてみると面白い。

空間認知とは飛んでくるボールや自分の打つボールをどのようにイメージするかと言ってよいだろう。空間認知能力があるという事は、強いボールを打つことができる能力と同様に、プレーヤーには有利だ。

一方、言語能力にたけているということは、テニスのゲームには関係ないように見えるが、実はそうでもない。女性は、一般に、言語を介して相手(他人、周りの人など)の感情や考えをくみ取る傾向があるといわれている。おしゃべりが好きなのは、どの国でも、どの人種でも、間違いなく男性よりも女性の方だ。

ラドバンスカは、明らかにこの言語能力に長けている。つまり、コートの向こう側からこちらの心理を完全に読み取ることができる。こんなに「女性的」な女子プレーヤーがいるだろうか。

李娜がフォアハンドでラケットが最後まで振りきれないと見切るや、しつこいようにフォアハンドにボールを集める。そして、なんとか李娜がフォアハンドで耐え忍んだところに、最後の一撃でバックハンドの深いボールを配球する。

李娜が守らずに攻撃する戦略に出ると、ラドバンスカは攻撃をかわす戦略に出る。李娜がラッキーポイントを重ねて2セット目を取ると、李娜の気持ちの流れを切るべくメディカルタイムアウトを取る。

観客の視点で言うと、李娜の精神状態を読み取るには、ラドバンスカのプレーを見た方が分かりやすいほどだ。李娜を応援する気持ちでゲームを見ていると、とにかくラドバンスカのプレーは「いやらしい」の一言に尽きる。

第二セットの最後に、李娜のラッキーショットが続いた。さすがのラドバンスカも、ネットインだけは予測することができない。試合は、セットオール(1-1)で第三セットに入った。李娜がラッキーショットに助けられた心理状況すら、第三セットでラドバンスカは活かすかもしれない。ラドバンスカのプレースタイルが好きなわけではないが(正直、こういう精神的な攻め方はどちらかというと好きではない)、こういうテニスもあるのだという気持ちでこの試合を最後まで見てみよう。

・・・

それにしても、李娜はどうしてもっと体重をかけたストロークを打たないのだろうか。強引にボールをポイントに打ち込もうとする姿は、先日のセレナ・ウイリアムスのプレーとは正反対だ。特に、ラドバンスカの様なクレバーなプレーに対抗するのであれば、深く強いボールを重ねて、隙を見つけて攻撃するしか方法はないと思うのだが…。

⇒ Wimbledon 2013 どうしても何か書きたくなるプレーヤー・ラドバンスカ

Wimbledon 2013 どうしても何か書きたくなるプレーヤー・ラドバンスカ

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ラドバンスカとリシツキのゲーム(2013年ウィンブルドン女子準決勝)を見ていて、ラドバンスカという選手がだんだん怖くなってきた。ラドバンスカの目には、ネットの向こうの相手は、コートは、風景は、どんな風に目に入るのだろうか。

負けるのが怖いとか、勝ちたいとか、ラドバンスカはそんな気持ちは全くなさそうだ。彼女は、名声や名誉のためにゲームをするのではない。勝ちたいという気持でもない。ただゲームに勝つためにプレーをしている。

勝ちたいと思ってプレーするのと、勝つためにプレーをするのは、言葉は似ているが実は全く違う。前者は結果に重きを置く。後者は過程に重きを置く。

ラドバンスカにとって、勝利は過程の先にある結果でしかない。言い換えると、結果までの過程についてしか、彼女の頭にはない。

彼女のプレーは、単純だ。ポイントを取るためにできることを何でもする。フォームなどはどうでもよい。ポイントを取るために、コースを隠し、ボールのスピードを変え、球質を変え、ペースを変える。相手の予想外のところにボールを打ち、逆に相手の思う場所にボールを打ってエラーを誘う。大切なことは、ポイントを取ることだ。そのスタンスは明確だ。

いったい、どのような少女時代を過ごせば、こんな女性に、こんなプレーヤーになるのだろうか。こんな人格になるのだろうか。何度も書くが、人格はテニススタイルを超えることはできない。ラドバンスカのプレーは、彼女の人格以外のなにものでもない。人格がこのようなプレースタイルを作ったのか。テニスが彼女の人格を形成したのか。

表情をあまり変えない選手は大勢いる。しかし、人格がそのままテニスに現れて、その人格には感情がほとんどない選手は数少ない。

少なくとも、他のどの選手よりも、テニスと人格が一致しているのが、ラドバンスカだと思う。彼女からテニスをとったら、彼女は死んでしまうのだろう。こういう形での人格の表現は、私は嫌いではない。ただし、こんなプレーヤーとテニスの試合をするのは、勘弁してほしいが…。へとへとに疲れてしまうのは間違いない。

⇒ Wimbledon 2013 李娜vsラドバンスカ(ある意味こんなに女性的なプレーヤーはいないのかもしれない)

Wimbledon 2013 決勝直前 ジョコビッチvsマレー

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つい先日、テニスは個人スポーツであり、国を背負うモノではないだろうという事を書いた(こちら)。とは言え、今年のウインブルドンの男子決勝はそうはいかないだろう。伝統ということをこれほど重んじる英国で、伝統をそのままテニスの大会にしたようなウィンブルドンという大舞台で、マレーが背負うものはあまりにも大きい。

マレーは、昨年、テニスのレジェンド(伝説)になるであろうフェデラーに決勝戦で敗れ、自らの力でこの大舞台をさらにドラマチックなものに演出してしまった。もちろん、意図的な演出ではない。

マレーのことを、少々気の毒にも思う。マレーは、決勝に勝ちたいという気持ちではなく、勝たなくてはならないという気持ちで、決勝戦に望まねばならない。今回のウィンブルドンの道は楽なものではなかった。決勝戦までにマレーは苦戦をいくつか乗り越えてきた。マレーの精神の糸は、きっとぎりぎりのところまで張りつめており、今まさに切れかかっているだろう。

もしマレーが今年も優勝できなかったら…。マレーのその気持ちを考えると、応援というよりも同情に近い気持ちになってしまう。

私は、もう一つ、この決勝戦に期待していることがある。それは、次の10年の男子テニスのカタチを占う戦いになるのではないかという事だ。

男子のテニス界はかつてのサーブアンドボレーは全く影を含め、グランドストロークを中心としたオールラウンドな戦法をほとんどのプレーヤーが採用している。かつてのトッププロは何か苦手なショットがあったものだが、今のプロテニスプレーヤーはちがう。どのプレーヤーも、あらゆるプレーを驚くほど高いレベルで打ってみせる。特に、トッププレーヤーは、体の使い方も見事で、肉体のポテンシャルを限界に近いところまで使っているように見える。

その意味では、すでに、ジョコビッチもマレーもあまりにも完成度が高く、どこに「伸びしろ」が残されれているのだろうかと思うほどだ。まして、ウィンブルドンの決勝戦だ。プレーの完成度は驚くばかりに高く、二人の肉体と精神は想像がつかないほど研ぎ澄まされるだろう。その中では、ほんの少しの差しかなく、その差が試合の勝者を決めるのだろう。

10年かけて男子のプレースタイルはグランドストローク中心に変化した。次の10年で、男子テニスの、ウィンブルドンのテニスがどう変わっていくのか。今の方向性にプレーの発展の可能性があるのか。それとも、新たな技術の展開が見られるのか。

決勝をしっかりと見定めようと思う。さあ、決勝戦の始まりだ!

Wimbledon 2013 決勝 ドロップショット・ドロップショット・ドロップショット…

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神様は、2013年ウィンブルドンでドラマチックな方の結末を選んだ。77年ぶりのイギリスプレーヤーの優勝。イギリス国民ではなくても、国民の興奮の程度は想像に難くない。

マレーは、どちらかというとドライなタイプなので、ウエットに国民と喜びを分かち合うというイメージはない。恐らく、全仏オープンでやニック・ノアが優勝した時とは、かなり違うのだろう。

マレーのスピーチは、正直なところ、優勝した今年よりも負けた昨年の方が感動的で印象的だった。マレーという選手は、人物は、そういうタイプなのかもしれない。わが道を行く。自分のために戦う。国民に対して責任を感じても、国民に対して自分をアピールすることはない。

フルセットになれば接戦で面白いとは限らない。3セットで決着がついても面白い試合もあるし、フルセットでもみごたえのない凡戦もある。ただこの決勝戦は、3セットで勝負がついたからというわけではなく、あまり面白い試合だとは思わなかった。これは正直な気持ちだ。決勝戦直前に書いたブログで、グランドストロークをベースとするプレースタイルの限界を極めつつあるジョコビッチとマレーが、次の世代のテニスの姿を見せてくれるのではないかと期待した。その期待に、ジョコビッチは応えてくれなかった。

それにしても、ジョコビッチの執拗なまでのドロップショット。なぜあそこまで、ジョコビッチはドロップショットにこだわったのだろうか。確かに、第3セットでは数ポイント連続で同じ場所にドロップショットを落とすことでマレーを崩しかけたシーンはあった。しかし、それはあくまで目先を変える、流れを変えるショットでしかなかったはずだ。ジョコビッチはその後もドロップショットを打ち続け、そしてポイントを失い続けた。

結局、ジョコビッチは、この試合では次世代テニスがどのようなものなのかを示すことはなかった。

一番印象的だったのは、ジョコビッチが左右に攻めるボールに対して、マレーはそれを見事に切り返していたことだ。昔だったら「ねばる」ところを、マレーは「次に攻められることはない」レベルのボールをコーナーに返球する。それは、ある意味、「守りのテニス」の究極の姿なのかもしれない。

もし、このようなテニスが標準的になるとすれば、横(左右)のテニスでは勝つことができなくなる時代が来るのかもしれない。かつて、ウィンブルドンはネットダッシュを中心とした縦(前後)のテニスが主流だった。それが、横のテニスに変わり、多くのプレーヤーがベースラインを守り、同時にベースラインを左右(横)に攻めるスタイルとなった。しかし、今日のマレーのプレーが「あたりまえ」になると、横のテニスは転換を迎える。

最後に来るのは、縦と横を組み合わせたテニスになるのだろうか。縦と横を組み合わせるテニスとは、どんなテニスなのだろうか。

Mecir's Tennis (171) 緩いボールの打ち方(続編)

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フォアハンドストロークでの緩いボールの打ち方(Mecir's Tennis (124) 緩いボールの打ち方)の続編です。

緩いボールだけではなく、メシールのすべてのフォアハンドストロークに共通することですが、「ボールの後ろ(6時方向)に回り込むのではなく、ボールの横(9時方向)に回り込む感覚」が大切です。グリップが薄くなるほど、ボールに対する体の位置が6時(後ろ)から9時(横)になっていきます。バックハンドも同じで、6時から3時方向に回り込む意識が大切です。

9時(フォアハンド)に回り込むと、ボールとの距離が離れすぎてしまうのではないかという不安がありますが、そこは思い切りましょう。薄いグリップの場合は、厚いグリップと比較して腕を比較的自由に使えるので、体とボールとの距離の補正が可能です。また、必要に応じて打点を後ろにずらせることができますので、万が一振り遅れても大丈夫です。

そして、余裕があれば、左足を踏み込みましょう。これは意識しなくても大丈夫です。ボールとの距離が取れている場合は、無意識に左足を踏み込もうとするからです。オープンスタンスが全盛期の現代テニスですが、フェデラーはほとんどのフォアハンドで左足を踏み込む(または前に出す)打ち方をしています。

もう一つ、こちらは緩いボールの時に有効な手段です。厚いグリップとフォアハンドとは違い、薄いグリップは意外に緩いボールが苦手です。ラケット面が少しもぐらつかないように注意しながら、同時にラケットをしっかり振って緩いボールを強く打たねばなりません。微妙なラケット面の狂いが、特に強いボールの場合にはバックアウトやネットに直結します。

この場合に有効なのが左腕と左肩です。左腕をしっかりと畳み込んで、左肩の前に置きます。そのタイミングは、早くても構いません。たとえば、相手のボールが緩い場合、つまり時間の余裕がある場合には、テイクバックの時点で左腕をたたんでしまってもよいのです。これにより、ラケット面のぐらつきを安定化させることができます。しかも、左腕をたたむことで右腕は比較的自由にスイングができます。必要であれば、右腕のテイクバックを早めに取り、やや大きめのスイングをすることも可能です。



もう一つポイントは、ラケットスイングを体の近くから外に振り出すことです。いわゆる、インサイドアウトの感覚です。ラケット面が微妙なイースタングリップのフォアハンドでは、特にラケットを強めに振りたい場合にはラケット面がぐらつきやすくなります。体とラケットが離れると、離れた分だけラケット面が不安定になります。したがって、テイクバックとフォワードスイングでは、ラケットが体の近くから出てくるほうが望ましいのです。

一方、大きなフォロースルーを取るためには、フォロースルーでラケット(右腕)が体のそばにあることは望ましくありません。フォワードスイングもフォロースルーも体のそばに腕があると、スイングの回転半径が小さくなり、大きなスイングが難しくなります。したがって、テイクバックからフォワードスイングがインサイドアウトの場合には、フォロースルーはそのままインサイドアウトを維持して、大きくからの外側にラケットを振り出すことが望ましいということになります。

インサイドアウトスイングは、下から上へのスイングとセットに考えます。ラケットは下から上に振るというのが、イースタングリップの基本です。ただしこれは十分に構える余裕があった場合(緩いボールを強く打つのは、そういう場合になると思います)のスイングであり、そうでない場合には横振りになることもあります。


まとめ:緩いボールに対するフォアハンドの要点

  • ボールに対して9時方向(ボール飛球線に対して横)に体を置くこと
  • 左手を左肩の位置に置く(写真)/スイング中でもよいがスイング前から置いてもよい
  • フォワードスイングはインサイドアウト/フォロースルーもそのままインサイドアウト
  • ラケットを下から上に振る

Mecir's Tennis (172)  サーブのフォームと野球の投球フォームの違い(サーブではどこに力を入れるか)

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これまで、何度か、テニスのサーブのフォームと野球の投球フォームの違いを書いてきました。
ちょっと考えると分かるのですが、サーブと野球の投球フォームでは、決定的に違うことがあります。それは、野球では左足(右投げの場合)を上げてボール投げるが、テニスでは足を上げないという事です。

そんなの当り前…なのですが、これが、いろんなことを示唆しているように思います。

まず、テニスのフォームで(野球の)ピッチングをしたらわかるのですが、いわゆる「女の子投げ」になってしまいます。左足が地面に着いたまま(またはほとんど着いたまま)では、下半身が使えないので、上体だけでボールを投げざるを得ません。

にもかかわらず、テニスでは、力強いボールを打たねばなりません。さて、どうすればよいか。

多くのポイントがあると思いますが、いくつか、挙げてみたいと思います。
  • 腕や肩に力を入れない。
腕や肩に力を入れると、ボールを打つ力がそこに集中してしまいます。下半身が使えないテニスのサーブでは、局所的に力を入れることは、フォームが不安定になります。一球、二球はよい球がいっても、連続で打ち続けることは容易ではありません。
  • 右手首を使わない
野球の投球フォームとの大きな違いの一つは、右手首の使い方(右利きの場合)です。テニスでは、フォワードスイング(インパクト直前)までは右手首を使いません。しかも、手のひら側に曲げるので、(野球経験者はとくに)手首は固定しておくほうがよいのです。野球では、「スナップを効かせる」という言葉がありますが、手首を手の甲側に曲げて投げます。ボールをリリースする瞬間に、手首を今度は手のひら側に倒します。この癖があると、テニスではかなり苦労します。フォワードスイングで手首が手の甲側に倒れると、ラケット面が開いてしまいます。そうなると、ラケットはネット方向にスイングされ、フラットボールしか打てなくなるのです。
  • 体全体を使う
したがって、テニスの場合には、できるだけ体全体を使ってサーブを打ちます。クイックサーブは(フラット系の場合を除いては)好ましくありません。大きなフォーム、とくに大きなフォロースルーでボールを打ちます。
  • 右手首だけ、または右肘より先にだけ力を入れる。
体全体に力を抜くのはよいのですが、ラケット面の微妙な違いがボールの安定感につながります。
前述のとおり、手首を手の甲側に倒すのは、テニスのサーブでは絶対にしてはいけないことです。フォワードスイング(のインパクトに近いタイミング)までは、右手首は手のひら側に倒しておきます。このことを考えると、手首にだけは少し力を入れてラケット面を固定することが有効になる場合があります。(特に、無意識に手首を功側に倒してしまう野球経験者には有効です。)さらに、右肘から先にだけは少し力を入れて、スイングの間はラケットから腕までを固定するとサーブが安定します。
  • テイクバックでは特に腕に力を入れない
サーブでは、テイクバックで、ラケットヘッドが地面を向くぐらい下に落とします。これは、スピン系の回転のかかったサーブを打つ場合には必須です。腕に力を入れず(むしろ抜いて)、これによりラケットを担いだ時にラケットヘッドが下に落ちます。
  • ボールを打つ時は背中に力を入れる
ボールをヒットする際に力を入れるとすれば、背中(背筋)です。背中に力を入れる分には、入れすぎるという事はありません。ラケットヘッドが下に落ちているという事は、そこからラケットを振り上げなくてはなりません。それは背筋の仕事です。

Mecir's Tennis (173)  コントロールこそ命(フラットドライブ系の利点を活かす)

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特に、浅い球を打つ場合やアプローチショットで差が出ます。スピン系のフォアハンドとフラットドライブ系のフォアハンドの違いです。

厚いグリップのフォアハンドプレーヤーが浅いボールをスピンのかかった強くたたいでネットに着くのを見て、うらやましく思うことがあります。イースタングリップでは難しいショットです。

イースタングリップでは、したがって、それをコントロールで補います。コースを狙い、ピンポイントで狙い打ちします。

スピン系は、さすがに、ピンポイントでのコントロールは容易ではありません。(プロレベルは別でしょうが。)フラットドライブ系は、その点は有利です。その利点を活かさねばなりません。

もう、とにかく、コントロールが武器です。少なくとも、浅いボールで一発でパッシングショットを打たれるボールを打つことだけは許されません。スライス、フラットドライブを混ぜ合わせ、ストレート、クロス、逆クロスと打ち分けて、最低でも攻撃されないショットを打ちます。

そして、すぐに攻撃の態勢に入ります。自分が打ったボールを見てはいけません。相手を見ます。そして、スプリットステップで相手のロブがないと見たら、一撃でポイントを取りに行きます。

アプローチショットでノータッチエースをとろうとしてはいけません。リスクが大きすぎる~です。あくまで、コントロールで勝負です。そのためには、ラケットをしっかり振りきることです。フォロースルーが小さいくなると、必ずコントロールが効かなくなります。テイクバックは小さく手もよいですし、力の入れ具合は0:100ぐらいの意識でOKです。フォロースルーが全てです。

Mecir's Tennis (174) 難易度の高いメシールのバックハンド(コナーズとの比較)

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1987年4月のWCTファイナル決勝で、メシールはマッケンローを下して優勝しました(記事はこちら)。この年のメシールは絶好調で、グランドスラムこそ決勝戦には出ていないものの、7つの大会で優勝しました。WCTファイルなるは、4月にしてこの年の4つ目の優勝で、この時点では年間賞金獲得ラインキングの1位にいたのがメシールでした。

実は、この年、メシールは初来日しています。このWCTファイルなるの翌週に開催されたジャパンオープン(サントリーがスポンサー)に出場するためです。ジャパンオープンでは2回戦からの出場でしたが、この2回戦の相手が福井烈(つよし)です。全日本のシングルスで7回も優勝した福井ですが、世界ランキングのキャリアハイは177位とほぼ世界では戦っていなかった選手です。今は、NHKのテニス解説者として有名です。

私は、WCTファイナルの決勝戦も、ジャパンオープンのメシール対福井のゲームもビデオを持っており、よく観ています。特に、福井はこの試合で第1セットは善戦し、5-5まで行ったナイスゲームでした。メシールはWCTファイナルの決勝戦から東京に直接入り出場するという強行軍だったとはいえ、当時の年間賞金獲得ランキング1位の選手によい試合をしたことが、ちょっと意外でした。

解説の森清吉さんの解説が印象的でした。「メシールが苦しんでいるのは、福井のボールが(普段、メシールが相手をしている選手と比べて)遅すぎるからなんです。」

ふと考えると、メシールにとっては福井戦のひとつ前の試合がWCTファイナル決勝(相手がマッケンロー)だったわけです。マッケンローと福井の世界ランキングの差から言っても、確かにボールスピードの落差はかなりのものだっただろうと思います。

実況のNHKアナウンサーが「面白いですねぇ、ボールが速くて打ち返せないというのは分かるのですが、遅すぎても難しいモノなんですねぇ」とコメントしていましたが、なぜ、遅いと難しいのかという話にはなりませんでした。

一般に、「相手のボールが速いとその力を活かすことができるけれど、遅いと自分の力で打たなくてはならないから」と言われています。このことを、もう少し詳しく、メシールのテニスという視点で考えてみたいと思います。メシールとコナーズのバックハンドストロークの比較を題材にします。以下は、コナーズのバックハンドストロークとメシールのバックハンドストロークの写真です。

コナーズのバックハンド


















メシールのバックハンド
この2枚の写真を比較するときに、一番の違いは背中の曲がり具合です。コナーズのバックハンドストロークは背中が曲がり、体の軸が前傾になっています。メシールのバックハンドは、背中がまっすぐ伸び、上体は地面に垂直です。

この2つは、どちらが正しい打ち方というのではありません。どちらもあり得ると思います。その違いは何かというと、ボールを打つ力が足の踏み込みを主とするか、背中と腕の力を主とするかです。

コナーズの場合は、まず、体重(重心)を低くして、足の位置をしっかりと決めます。そこから、体重を前に移動させつつ、体の回転と背中の力でボールをヒットします。軸がぶれないようにするためには、低い重心は有効です。コナーズのプレーをご覧になればわかりますが、地を這うようなスタイルで正確なコントロールでボールをヒットします(映像の例はこちら)。

では、メシールのバックハンドはどうでしょうか。メシールの場合、足の膝はしっかりと折れています。しかし、体全体の重心はコナーズのように低くありません。背中が伸びて体が立っています。これは、メシールのバックハンドではボールをヒットする主パワーが背中や体の回転から来ているわけではないことを示しています。メシールのバックハンドでは、主パワーは足の踏み込みです。具体的には次のようになります。
  1. まずは、飛んでくるボールに合わせてテイクバックをします。
  2. 次に、左足(バックハンドの軸足)の位置を決めます。
  3. バウンドにあわせて右足を踏み出します。その際、背筋はまっすぐ伸びています。
  4. 足の踏み出しの力(体重移動)でボールをヒットします。その際、ボールに順回転をかける場合や、相手のボールが弱い時などで自分の力でボールをヒットする場合には、体重移動で不足する分を背筋の力でボールヒットします。
ここで注目すべきは1と2の順番です。コナーズの場合には、例えばこの順番が逆になることがあります。より安定したストロークのためには、2でまず軸足を決めてから1のテイクバックをスタートする方がよい場合もあります。しかし、メシールの場合は、1と2が逆転することはありません。

それはなぜでしょうか。

コナーズの場合(というよりも、一般的には)軸足の位置を決めてラケットを引くところからスイングが始まるからです。メシールのストロークは、テイクバックが先に来ますが、その際にすでにスイングは始まっています。テイクバックのための軸足の位置を決めるのは、スイングの一部(途中の動作)であるわけです。

メシールの場合は、スイングの途中で軸足を決めて前足を踏み出して体重移動する部分がボールをヒットする力になります。背中はボールをコントロールする、言い換えると打ちたい場所にボールを打つ(運ぶ)ために使われます。

この打ち方は、度胸がいります。言い換えると、それができるようになるためには練習が必要です。プレーヤーから見ると、ボールに力を与えるのは、ラケットにより近い部位が望ましいのです。腕で打つのは誤差が大きくなるので誰も望みませんから、背筋を使いたくなります。それは、決して間違いではありません。

しかしメシールは、背筋を主体としてボールを打つ道を選びませんでした。ボールを打つのは体重移動です。膝の力が大切です。やってみればわかりますが、これは、なかなか膝の力が必要です。とにかく、コート上で膝を使います。疲れます。

しかも、これは、遅い球には弱いという弱点があります。遅い球を打ち返す場合には、足の踏み込みだけでは不十分で、どうしても背筋の力が必要です。コナーズのように体を傾けると背筋の力が使いやすいのですが、上体を起こしている場合にはあまり背筋の力が入りません。また、背筋は主としてボールコントロールに使いたいので、ボールヒットの力には使いたくないのです。

結局、メシールのバックハンドでは、相手のボールが緩い場合には、ある一定以上の強い球を打つことを諦めなくてはなりません。一球でポイントを取るのではなく、深く重い球をコントロールよく配球することで攻撃を組み立てることになります。これが、おそらく、メシールが(マッケンローとの試合後に)福井戦で苦戦した理由だと思います。福井の球は遅かったかもしれませんが、浅かったわけではないのです。深くて遅い球。メシールは意外にこういうタイプのボールが苦手です。

さて話を戻しますが、メシールのバックハンドで特に大切なのは、足の位置です。背筋を使った微妙な調整ができなのですから、足の位置が微妙にずれると、自分が打つボールはコントロールを失います。よいボールが打てるかどうか、ミスショットになるかどうか、これはボールを打つはるか前に決まってしまっています。つまり、足の位置を決めた瞬間に決まっているのです。

繰り返しになりますが、これが度胸がいる打法です。足の位置を間違えた瞬間に結果が決まるので、その後で背筋や腰の回転、腕などでの調整・補正は効きません。その代わり、足の位置がしっかり(正確に)決まったら、体の軸がぶれにくいので安定したショットが打てます。背筋が主パワーになりませんが、副パワーとして最大限の背筋の力を使うこともできます。

足の位置を先に決めて背筋の力でボールをヒットするコナーズと、足の位置を決めて前足を踏み出すことをパワーとして背筋をボールコントロールに使うメシール。もう一度、この視点で、上の写真を見てみてください。

Mecir's Tennis (175) 背中を丸めないこと

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以前、「えもんかけとフォアハンド」で、肩をえもんかけのように使うことを書きました。この事は、メシールのグランドストローク(フォアハンド、バックハンドの両方とも)が上体が地面に垂直になっているように見えることと関係しています。

メシールのグランドストロークをまとめると、次のようになります。
  • 上体が立っているように見える。
  • 両肩をえもんかけのように使う。
これは、言い換えると、「背中を丸めない」という事につながります。

背中を丸めてしまうと、上体を立てることができません。上体は、前かがみになってしまいます。

背中を丸めてしまうと、両肩を張る(えもんかけのように)こともできません。肩をすぼめた状態になってしまいます。

この事は、フォアハンド、バックハンドで強い球を打つためには大切な点です。強いボールを打つために、どこにエネルギーをため込むか。これは、フォアハンドであれば右肩の内側、バックハンドであれば左肩の内側です。フォアハンドで右肩を張ることで、右肩の内側(脇のそばの筋肉)に力を入れます。バックハンドはその反対です。(この箇所は、大胸筋というようです。)

これは、テイクバックでしっかりと肩を張る(えもんかけのように)ことで実現できます。背中を丸めてしまうと、それができないのです。その結果、安定はしているがパワーのないボールしか打つことができません

メシールのグランドストロークは、コントロールとボールのパワー(いわゆる重いボール)が命です。正しいフォームは安定したコントロールをもたらしてくれます。これまで、ボールコントロールができるための正しいフォームについて多くの記事を書いてきました。

もう一つの大切な点が、ボールノパワ―です。そのためには、背中を丸めないこと、えもんかけの両端にしっかり力を入れることが大切なのです。そうすれば、自然に背筋でボールを打つことになります。背筋に力を入れるという脳内イメージは、時として背中を丸めることにつながります。大胸筋に力を入れるというイメージの方が、正しい脳内イメージです。

この、両肩の内側(脇のそばの大胸筋)に力を入れるのは、サーブ、ボレーなどでも同じです。

Mecir's Tennis (176) 緩いボールの打ち方(打点について)

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フラットドライブ系の打ち方をしていると、相手の緩いボールに対応しにくいことがあります。それは、ボールの軌跡が直線的ではなく放物線的になるため、ラケットスイング(水平に近い軌道)と合わないからです。

厚いグリップのスピナーには一番の「ごちそう」が、イースタングリップには意外に苦手であったり、チャンスを活かすことができなかったりします。


スピードはないので時間的な余裕はあるはずです。この場合に、どのような打点を選ぶか。

高い打点は、バウンドの頂点でボールが止まったところでボールをヒットできます。したがって、水平スイングでもそれほど打ちにくくありません。したがって、高い打点で打つというのは一つの考え方です。その代わり、高い打点では力は入りにくいという欠点があります。チャンスボールなのに、どちらかというとサービスボールを返球してしまうことがあります。したがって、高い打点を選択するのであれば、それはアプローチショットで使う場合です。力のあるボールを打つことは難しいため、コースをついて相手を走らせ、自分はネットを取る場合に限るべきです。

そうではない場合、つまりグランドストロークとして打つ場合は、打点を落とします。そして、イースタングリップであっても、下から上のスイングでスピン系のボールを打ちます。スピナーの様なぐりぐりスピンを打つ必要はありません。しかし、順回転のかかった重いボールを打つようにします。少なくとも、高い打点よりは力のあるボールが打てるはずです。強いスピンは不要ですが、その代わりにパワーの乗ったボールを打つのです。一球でノータッチエースを取る必要はありません。ただし、可能であればコースを狙い、次の甘いボールを誘うことができるボールを打ちます。

遅い、ゆるい球は、つい高い打点で打ちたくなります。が、それは間違いです。しっかりボールを落として、一番力が入るところで打つのが基本です。イースタングリップであっても。

Mecir's Tennis (177) ステップワークと体重のかけ方・背中を曲げないこととの関係

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背中を曲げないこと」ではグランドストロークでは背中を曲げない、上体を起こすと書きましたが、正確にはやや前傾姿勢になります。これは、以前、「体重のかけ方」に書きました。

大切なことは、「体重のかけ方」の図にあるように、お尻を突き出すことです。これにより、上体が突っ立つことなく、しかし背中を丸めずに肩をえもんかけのように使うことができます。

ただし、これをステップワークでも行うことは簡単ではありません。お尻を突き出しながらコート内をフットワークするのは足への負担が大きすぎます。

とは言え、この体勢を取らずにステップワークして、ボールを打つ時にいきなりお尻を突き出すのも簡単ではありません。

結局、ステップワークではお尻の突き出し方、背中のそらし方などを比較的「楽に」行っておき、ボールを打つ際にしっかりとお尻を突き出します。それでもやや体の負担は大きいのですが、しかし、ステップワークからスムーズにボールヒットにつなげるためには、やはり、必要なことです。ステップワークで膝を突っ立てたり、逆に膝を曲げすぎたり、背中を丸めたり、逆に上体を立てすぎたりすることは避けるべきです。

Mecir's Tennis (178) フォアハンドトップスピンロブの打ち方

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私は厚いグリップでフォアハンドを打ったことがないので比較はできないのですが、トップスピンロブについては薄いグリップの方が打ちやすいのではないかと思います。薄いグリップでのフォアハンドのトップスピンロブの打ち方をまとめると、次のようになります。

  • フォロースルーは右肩の上(頭より右側)
  • ラケットはほぼ真上に振り上げるイメージ
  • ボールの外側をこすり上げるイメージ
  • 最後まで腰(骨盤)の回転を使わず途中で止めるイメージ
案外難しいのは3番目の、骨盤の回転を途中で止めるイメージです。普段は、大きく骨盤を回転させてフォロースルーするからです。トップスピンロブの場合には、それを途中で止めなくてはなりません。

そのために有効なのは、テイクバックでラケットを普段のストロークよりも体の後ろに持っていくという方法です。これにより後ろ側に余分にテイクバックが取れる分だけ、骨盤の回転も多く使えます。テイクバックでは思い切ってぐっと後ろにねじ込んでから、その分だけフォロースルーを止める。これがコツです。

そして、その分、スイングを前ではなく上に行います。これさえ守れば、薄いグリップのフォアハンドでは、トップスピンロブは比較的打ちやすいショットです。フォームも、通常のグランドストロークとあまり変わらない(途中までは)ので、見破られにくいという利点もあります。

なお、この打法でスイングを上ではなく前にすることで、メシールはストレートのパッシングショットを打つことがあります。スイング方向とボールの飛ぶ方向が同じであるためボールをコントロールしやすいもその理由だと思います。

Mecir's Tennis (179) 腕が遅れて出てくることと打点が後ろになることは別の話なのです!

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グランドストロークにしても、サーブにしても、サービスラインまでを使ったショートテニスで強く(または大きなフォームで)ボールを打つことができるかどうかが、その人のテニスのレベルを示すとよく言われます。

スピンを打ちにくい薄い(イースタン)グリップでは、ショートテニスでしっかりとボールを打つのはなかなか容易ではありません。簡単にサービスラインを超えてしまいます。とは言え、無理やりのスピンボールを打ったのでは意味がありません。

つまり、実は、イースタングリッププレーヤーこそ、技術レベルを確かめるのにショートテニスは有効なのです。

では、どうすればイースタングリップでショートテニスで強いボールを打てるか。これは、通常のグランドストロークでコントロールされた安定した順回転ボールをコントロールして打つにはどうすればよいかという事と共通です。

ポイントは、打点を前に置くという事です。言い換えると、テイクバックで右手を後ろに引かないという事です。右腕を体の前に固定します。三角巾で腕を固定しているイメージです。
ただし、腕を完全に固定してしまうと自由度が失われてしまいます。この感覚(脳内イメージ)は伝えにくいのですが、腕の自由度は保ったまま腕を固定します。腕を固定しておき、タイミングを腕で採るという感じがよいかもしれません。(タイミングをとるという事は、ある程度は自由度があるからです。)

そして、この体勢からスイングします。ボールの打点は、自然と前の方になります。そうすると、インパクト前後で腕が使いやすく、ボールに回転をかけやすくなります。

このイメージで一番難しいのは、ボールを打つパワーをどこからもらうのかという事です。多くの場合、フォアハンドでは大きなテイクバックによりスイングの勢いを作ります。この打ち方は、テイクバックがほとんどないという脳内イメージですので、パワーは別のところからもらわなくてはなりません。

ポイントをいくつかまとめておきます。
  • テイクバックが小さい分、大きなフォロースルーを取ること。
  • 大きなフォロースルーを取るために、ボールに近づきすぎないこと。
  • ボールをよく見ること(少なくとも、相手のボールが自分のコートでバウンドするまでは目で追いかけること)。これは、小さなテイクバックですのでスイートスポットをはずとボールにパワーを伝えることができないからです。大きなテイクバックで、(多少スイートスポットを外しても)ラケットの勢いでボールをヒットするという技は使えないのです。
  • テイクバックで左手をラケットに添えること。これにより、テイクバックが大きくなることを防ぐと同時に、左肩が開くのを防ぐことができます。
  • テイクバックで添えた左手を、フォワードスイングでスイングを誘導する役割で使うこと。右手でフォワードスイングするのではなく、左手でフォワードスイングします。
  • 右手は少し遅れて出てくるイメージ。左手がフォワードスイングを引っ張り、左肩が開きます。続いて右肩が開き、右手が遅れて出てくるイメージです。一番最後に右手が出てくるのです。
右腕が遅れて出てくるイメージは、例えば、こちらの動画像を見てみてください。メシールのフォアハンドは、腕が遅れて出てくるとよく言われます。それは、打点が後ろになっているという事ではないのです。この2つをごっちゃにしてはいけません。





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