四大大会の準決勝で戦ったのは5度目。しかし決勝への壁がどうしても越えられない。「全ての試合でベストを尽くしたが、対戦した相手(ジョコビッチ、A・マリー、ナダル)は自分より優れている。私には何ができるのか」といら立つ場面もあった。(メルボルン時事:抜粋)
錦織 vs フェレール 全豪オープン2013で書いたとおり、フェレールは「試金石」の役割しか果たせない。厳しいけれど、それは事実です。
スポーツは残酷な側面を持ちます。他のスポーツと比較してアップセットが多くないと言われているテニスの場合は、なおさらです。
安定している(ほとんどの大会で下位ランキング選手に負けない)が上位選手には勝てないという、銀行口座のように正確な結果しか出せない選手。私にはどうしても魅力を感じることができないのです。
テニスの面白さは、イマジネーションの豊かさです。低いリスクで如何に意外性があるボールを打てるか。観客は、それを楽しみに、一本一本のショットを追いかけるのです。
最近の世界の女子テニスは、その点で、私は興味を失いつつあります。確かに、20年前と比較すると、考えられないほど女子のボールは速くなりました。強くボールをヒットするようになりました。
しかし、いくらボールを強く打っても、そこにイマジネーションと意外性がなければ、そこから個性は出てきません。「人格はテニスを超えることができない。」人格が表現されることとイマジネーションあふれるプレーは、意味が重なります。
イマジネーションあふれる人格が、イマジネーションあふれるプレーを導き出します。
「テニスを楽しみたい。」そう言い続ける李娜は、私が見ていて楽しい数少ない女子プレーヤーです。彼女のユニークなキャラクターについては、以前書きました。
自分より上位ランクには勝てないけれど、自分より下位ランクには負けない選手よりも、調子に乗ったら2位と1位を連破してグランドスラムで優勝しそうな選手の方が、見ていて楽しいに決まっています。
自分より上位ランクには勝てないけれど、自分より下位ランクには負けない選手よりも、調子に乗ったら2位と1位を連破してグランドスラムで優勝しそうな選手の方が、見ていて楽しいに決まっています。
明後日は全豪オープンテニス2013女子決勝です。ランキング2位のシャラポワを破って決勝進出した李娜とランキング1位のアザレンカ。李娜が、この大きな舞台で、どこまでイマジネーションあふれるプレーを展開してくれるか、のびのびと自分らしいプレーを展開してくれるのか、楽しみです。2012年の全豪オープンのときとはかなり違うようです。