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全米オープン2013 哀愁のフェデラー

全米オープンは、毎年8月の終わりから始まり、9月の頭までの間にニューヨークで開催される。まだ暑い日が続くが、それでも少し秋の気配が感じられるようになる季節だ。これから暑くなるという全仏オープン、全英オープンと比較して、少しさみしい、哀愁を感じはじめる季節に開催されるのが全米オープンだ。

グランドスラムの中でも最もにぎやかで喧騒の会場で開催される大会とこの季節感のコントラストが私にはいつも奇妙に感じられ、それが印象的な大会だ。

今年の3つのグランドスラムで決勝にさえも進むことができなかったフェデラーは、全米オープンでも同じく決勝の文字が付かない4回戦で敗退しそうだ。ランキングが高いとは言えないスペインのロブレロを相手に2セットダウンとなり、ロブレロがよほどミスを繰り返さない限りもはや挽回は望めそうにない。

これまでのロブレロに対してフェデラーは10勝0敗だそうだ。それはそうだ。ロブれどのように正攻法ではあるがプレーに工夫のないプレーヤーに対して、イマジネーション豊かなフェデラーのプレーが負けるはずがないからだ。いや、なかったからだ。

この季節と相まって、「哀愁のフェデラー」という言葉が、このゲームのフェデラーのプレーにはぴったりくる。ガッツを前面に出すタイプではないので、なおのこと哀愁が漂うのかもしれない。

工夫のないロブレロのプレーに対して、持てる技術をすべて出して戦うフェデラーだが、大切なポイントが取れない。ロブレロのプレーは確かに確実で安定しているが、意外性や戦略性に富んでいるわけではない。ただ、フェデラーの組み立てが功を奏さない。意外性のあるプレーは、それなりのリスクを伴うわけだが、今のフェデラーはそのリスクに負けてしまう。

恐らく、全盛期であれば面白いように決まった攻撃パターンが功を奏さない。しかしフェデラーは、それでもロブレロと正面切っての打ち合いを続けたりはしない。バリエーションを使って試合を自分のペースに持ち込もうとする。それがフェデラーのテニスだからだ。

そのテニスが、今、はっきりと通用しなくなっている。フェデラーは、それでも、自分のテニスをやめたりはしないだろう。ただ打ち合うだけのテニスで勝ち残ることを、フェデラーは選ばないだろう。

秋風の季節が終わり、長袖のシーズンになること、フェデラーはどんな結論を出すのだろうか。

今、この瞬間にフェデラーの2013年全米オープンが終わった。

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